非常戒厳の最中に…

12月3日夜、韓国で「非常戒厳」が出され、戒厳軍が国会に展開されていたとき、およそ300人の戒厳軍が派遣された場所がありました。

中央選挙管理委員会の庁舎。

選挙管理委員会によりますと、戒厳軍は夜間の当直など5人から携帯電話を押収したほか、出入りを制限し、3時間半近く庁舎を占拠したということです。

なぜ、戒厳軍が選挙管理委員会に?

背景に“不正選挙”疑惑

韓国メディアは、ことし4月の総選挙について「不正選挙疑惑を捜査するかどうか判断するためだ」と、キム・ヨンヒョン(金龍顕)前国防相が述べたと伝えています。

国防相だったキム・ヨンヒョン氏は「非常戒厳」の宣言をユン大統領に進言したとされる人物です。

総選挙では、ユン大統領の与党で、保守系の「国民の力」は108議席だったのに対し、革新系の最大野党「共に民主党」は系列の政党を含めて175議席。与党「国民の力」が大敗しました。

その選挙が「不正選挙だった」などという主張が出ているのです。

ユン大統領は、12月12日に出した国民向けの談話で次のように話しています。

「選挙管理委員会をはじめとする憲法機関や政府機関に、北によるハッキング攻撃があったことを情報機関が発見し、情報流出と電算システムの安全性を点検しようとしたが、選挙管理委員会は憲法機関であることを掲げ、かたくなに拒否した」

「システム機器の一部だけを点検したが、状況は深刻だった。国家情報院の職員がハッカーとしてハッキングを試みると、いくらでもデータ操作が可能で、安全対策も事実上ないのと同じだった。民主主義の核心である選挙を管理する電算システムがこんなにでたらめなのに、どうして国民が選挙結果を信頼できるのか?」

“不正選挙” 選管は明確に否定

こうした“不正選挙”疑惑について、選挙管理委員会は明確に否定しています。

ユン大統領による談話に対し、「北朝鮮の ハッキングによって選挙システムが侵害された痕跡は発見されなかった」としたうえで、不正選挙は「 事実上不可能なシナリオ」などと否定しています。

さらに、「選挙過程で数回提起された不正選挙という主張は、司法機関の判決を通じてすべて根拠がないと明らかになった。不正選挙を疑うことは大統領自身が当選した選挙管理システムに対する自己否定と変わらない」としています。

サタデーウオッチ9「韓国非常戒厳の背景は」今夜9時~

12月28日(土)午後10時まで配信

保守派のYouTuberが主張

不正選挙だったという根拠が不確かな主張は、韓国のYouTubeで広がっています。

ことし4月の総選挙で与党が負けたあとも、多くのフォロワーを持つ保守系のユーチューバーなどが「不正選挙が行われた」と次々と主張しました。

NHKが分析したところ、「不正選挙」がタイトルに含まれる動画はことし4月から12月18日までで、あわせて2000万回以上再生されていました。

こうしたYouTubeのチャンネルは少なくとも22あり、その中でも、あわせて517万回と最も多く再生されていたのが「ソン・チャンギョンTV」です。

登録者が97万人以上いるインフルエンサーで、「不正選挙」に関連した動画は少なくとも29本。

「民主主義の華である選挙での不正行為は問題だ」などと述べていました。

YouTubeで主張する人物の中には、過去に首相をつとめた政治家も。

2016年にパク・クネ(朴槿恵)元大統領の弾劾を求める議案が可決された際に、大統領の職務を代行したファン・ギョアン(黄教安)氏です。

ファン氏は、自身のYouTubeチャンネルに投稿した動画で、「選挙を操作して結果を完全に覆した」などと主張。

「不正選挙問題を全く知らない周囲の方々に注意を喚起してください」と呼びかけていました。

“エコーチェンバー”に入り込む?

韓国のメディアは、ユン大統領がこうしたYouTubeの動画を日常的に見ていて、一部の人と交流していたとも伝えています。

同じような意見ばかり見聞きするうちに、密閉空間で同じ声ばかり反響し増幅するように、特定の意見が正しいと思い込む“エコーチェンバー”に大統領自身がはまり込んでいたかもしれないという見方も出ています。

ユン大統領を支えるはずの与党の前代表からも、批判の声が。

12月16日に与党「国民の力」の代表を辞任したハン・ドンフン(韓東勲)氏は、辞任表明の記者会見でこう述べました。

「不正選挙の陰謀論者に同調し、恐怖に侵食されれば、保守の未来はない」

ニュースの入手手段がYouTube

極端な主張が広がり続ける背景には何があるのか。韓国のメディアの状況が影響していると指摘されています。

韓国ではYouTubeがニュースを知る手段としても広く浸透。

ロイター・ジャーナリズム研究所の報告書によると、ことし1月、韓国の2000人余りにニュースを知る方法を複数回答で聞くと、SNSを含むオンラインが79%で最も多く、テレビが62%、新聞・雑誌の印刷物が16%でした。

ニュースを知るために使ったメディアについては、「YouTube」を挙げた人が全体の51%と最も多く、半数を超えていました。

年代別に見ても、18歳から24歳で47%、25歳から34歳で51%、35歳から44歳で48%、45歳から54歳で47%、55歳以上で55%と、YouTubeは若い世代だけでなく、幅広い年代でニュースを知るために使われています。

“不正選挙”主張 広がりの背景に

こうしたメディア状況の中で、「不正選挙」だという根拠の不確かな主張は、非常戒厳が出された後にも広がっています。

NHKが分析した「不正選挙」を訴えるユーチューバーらの動画の総再生数は、4月~11月まででおよそ490万回でしたが、12月だけですでに1520万回を超えています。

極端な主張が広がり続ける背景について、韓国情勢に詳しい神戸大学の木村幹教授は。

「韓国ではメディアの党派性が強いため、みんなが信頼できる影響力のあるメディアがなくなっていることが最大の特徴と言えます。YouTubeも怪しいと思っている一方で、既存メディアの報じていることを信じないという状況がみられています」

そして、木村教授によると、韓国では毎週のように決まった場所でデモが開かれていますが、参加することでネット上で聞いた主張をより信じ込みやすくなるリスクがあると指摘しています。

「インターネットだけだとネット上の知り合いしかいませんが、デモに行くと現場で同じ意見を持っている人たちに会うことができ、ものすごく強力な“確証バイアス”(自分にとって都合のよい情報のみに注目する傾向)の確認の場になります」

ファクトチェックの活動が…

不確かな情報が広がらないよう、情報の真偽を検証する「ファクトチェック」の活動も、ユン政権になって以降、厳しい状況になっています。

韓国では以前は、2017年から運営が始まった「ソウル大学(SNU)ファクトチェックセンター」を中心にファクトチェックの活動が盛んに行われていました。

大手テレビ局も「ファクトチェック」の番組を放送。新聞社やネットメディアまで、多くの媒体が積極的に取り組んでいました。

ソウル大学

その中でSNUファクトチェックセンターは、IT企業「ネイバー」の資金援助を受け、各メディアのファクトチェックの結果をまとめて公表したり、ファクトチェックを行う団体に資金の支援を行うなどしてきました。

ところが去年、「ネイバー」は資金援助の中止を表明。その後、SNUファクトチェックセンターは活動停止を余儀なくされました。

韓国でファクトチェックに携わり、研究も行っている慶応大学非常勤講師のユン・ジェオンさんは、ファクトチェックの取り組みが厳しくなっているとしています。

「韓国では、特にコロナ禍などで政治家の発言に対するファクトチェックが活発にされてきました。しかしユン政権はみずからに批判的なメディアに対して厳しい態度を取っており、SNUファクトチェックセンターの活動停止なども重なって、ファクトチェックの取り組み自体が萎縮していたように感じています。影響力も落ちていました」

「一方で、政治家がチェックされても堂々とウソを繰り返すようになっていました。都合のいい情報しか受け入れずに、自分たちの“ファクト”を作り上げてしまうような状況になっていたのだと思います」

そのうえでユンさんは、今回の一連のできごとを受けて、ファクトチェックが改めて注目される可能性があると指摘しています。

「韓国では、日本でいう期日前投票の『事前投票』で結果が改ざんされているとか、開票作業に使う機械が操作されているなどという不正選挙に関する陰謀論が、2010年代後半から広がってきました」

「SNSで広がるだけではなく、それに大統領が影響されて間違った政治的選択してしまうことがありえる状況なのであれば、メディアは陰謀論に対して厳しい姿勢を取るべきです。業界内でも、改めてファクトチェックの必要性を求める声が高まっています」

“不正選挙”の主張は日本でも

こうした状況は「対岸の火事」ではありません。

「韓国の総選挙が不正選挙だった」という主張は、非常戒厳が出された後に日本でも広がりを見せました。

たとえば、Xでは「大統領、逆転大勝利か。戒厳令は不正選挙の証拠を軍が押収するため」「一斉逮捕から発表の流れかな」などとする投稿が拡散され、1900万回近く閲覧されています。

同様の投稿はほかにも複数あり、あわせて少なくとも700万回以上閲覧されていました。

また、不正選挙だという根拠のない主張や偽情報は、日本国内の選挙でもたびたび広がっています。

NHKが「不正選挙」を含むXの投稿の数を調べたところ、3月の熊本県知事選挙や7月の東京都知事選挙、10月の衆議院選挙の際に、投稿数が急増していました。

内容は韓国で広がっているものと同様で、「期日前投票が書き換えられている」「開票所で使う機械が操作されている」などとする根拠のない主張や偽情報です。

否定する内容の投稿もありましたが、不正だと訴える投稿が多く拡散され、衆院選の投開票日と翌日だけでもあわせて少なくとも620万回以上、閲覧されていました。

選挙に関して真偽不明の怪しい情報が広がりやすい状況は、各国で見られます。

情報の中には、自分で調べてみてもウソだと見抜けないものもあります。自分の政治的な立場に近く、共感するような情報でも本当に正しいのか疑い、わからない情報は拡散しないことも大切です。

不正選挙? 選挙に関する“偽情報”を調べてみると…

世論が分断 その先には

神戸大学の木村幹教授は、いまの情報空間の中で、メディアが事実をきちんと伝え、役割を果たすことが重要だと指摘しました。

「韓国では極端な主張は保守派だけでなく革新派にもみられます。閉塞感があって、誰かに責任を押し付つけたいという中で、社会を単純に見てしまう怖さがあり、世論が保守派と革新派で大きく分断して、互いに話ができない状況となっています。ある意味では韓国の状況というのは、日本が行き着く先を示しているのかもしれません」

「今回の非常戒厳に関しては、論評なしに報道することの重要性を示したのだと思います。本当に重要な情報をきちんと報道していくことが大事だと感じています」

(機動展開プロジェクト 籏智広太、経済部 岡谷宏基)

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