光クラブ社長の死を伝える昭和24年11月26日付『時事新報』。親交があった記者の談話や遺書全文も掲載された

昭和24年7月4日、警視庁京橋署(当時)は物価統制令違反容疑で、金融業者「光クラブ」社長で東京大法学部3年の男性=当時(27)=を逮捕した。男性は、融資先から不当な利息を受け取ったほか、月2~3割の高利でヤミ金融を行った疑いが持たれていた。

零細金融業者がひしめく戦後の東京に誕生した光クラブ。現役東大生が経営していることも踏まえ、同6日付『時事新報』は「『堅実と近代性を誇る日本唯一の金融業』と銘打ちハデな宣伝をやっていた」と取り上げている。

男性は配当を約束して出資を募り、それを原資に高利貸を行っていたが、裏では取り立てに暴力団を使っており、国税当局も高金利だとしてたびたび警告していた。

警視庁が摘発に乗り出したきっかけの一つは、秘書として光クラブに入り込んだ女性が、内部情報を流したことだといわれる。ヤミ金業者の犠牲になる企業が多い中で、光クラブは規制を強めたい当局の「恰好(かっこう)のターゲットになった」(『真説 光クラブ事件』)。

男性は得意の法律論で刑事をけむにまき、世間をにぎわした。不起訴処分で釈放され、金融業を再開したものの失敗。同年11月、多額の借金を残し、社長室で青酸カリをあおった。同月26日付『時事新報』は、男性の死を大きく報じた。

社長室のテーブルには遺書が置かれ、「貸借をすべて清算借り自殺」などと、「青酸カリ」をもじった文書が残されていた。(橋本愛)

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