令和6年春の褒章受章者が28日付で発表され、千葉県内からは21人1団体の受章が決まった。発令は29日付。
このうち、40年以上にわたり、料理人一筋で、後進の育成にも尽力してきたとして、黄綬褒章を受章した京王プラザホテル(東京都新宿区)の佐藤進一取締役総料理長兼調理部長(61)=船橋市=に受章への思いを聞いた。
◇
「夢を持って羽ばたける人生にしたい。そう思い、ここまでこられた。周りの支えがあってこそだ。心から感謝したい」
受章の喜びをこう語った。
同県八千代市生まれ。9人きょうだいの8番目。大家族で、日ごろから料理作りを任されることも多かった。
小学6年生の文集に、将来の夢は「レストラン経営」と書いた。
県立佐倉西高校2年生のころ、担任教諭に「フランス料理をやりたい」と思いを伝えた。昭和56年に卒業後、迷わず料理人の道を選んだ。
7年間ほど下積みの仕込み場で働いた。27歳で「神々の食事」との意味を持つフレンチレストラン「アンブローシア」に入った。
しばらくして、フランス人で世界的シェフのアラン・デュカスさんが来日し、ホテルのキッチンで実演する姿に衝撃を受けた。
「スープ一つとっても、どんなコンセプトでお客さまにお届けするか、考え抜く。そんなこだわりを見せる姿勢に感銘を受けた」
いつも料理のことばかり考えた。料理に関する本を片っ端から読破し、自分なりのアイデアを思いめぐらせた。行きついた先は「結局、フランス料理は奇をてらわず、シンプルなのが一番だ」ということだった。
ゆでたてのジャガイモの料理であれば、そこにバターがあるだけでよかった。
平成25年に京王プラザホテル八王子の料理長を任された。和食や中華にも目配りしながら、「後に続く若手のシェフを育てることが、これからの自分の役割だ」と覚悟を持った。
映画界の巨匠、黒澤明監督の「創造というのは記憶なのです」という言葉が好きだ。「自分の経験や読んだ本など、記憶に残るものを足がかりにしてこそ、何かが創れる」という意味だ。これは料理にも通じることだと考えている。
京王プラザホテルで働く約200人の調理人らに毎日、笑顔で接しながら、「料理というのは記憶なのです」「料理は生き物。枠にはめずに創るものだ」と伝え、指導している。
高校生の時に亡くした父親には生前、「進一は先生になれ」と言い聞かされてきた。
「自分は若手シェフの指導役になったことで、父親が願った〝先生〟にもなれた。料理人との2つの夢をかなえられ、とても幸せです」
これからも料理人としての人生は続く。
「フレンチをもっとカジュアルな料理にし、家庭に根付かせたい。これまでの人生の恩返しだと思い、日本の食文化に貢献していきたい」
(村上智博)
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。