水を張った田んぼに映るライトアップされたソメイヨシノの並木=千葉県いすみ市札森のさくら街道

気韻漂う波月の桜

波月(はづき)の桜が好きだ。千葉県御宿町岩和田漁港の背後にある山中に凜(りん)と鎮座する山桜の巨木だ。今年も満開のころを見計らって拝みにいった。ソメイヨシノとはまったく異なる気韻を漂わせるこの巨木に対しては、拝むという行為こそがふさわしいように感じられるのだ。海からの風に無数の白い花片が舞う。その下にいるだけで心が浄化され、安らかな心持ちとなる。西行の歌が思わず口をついて出る。

《願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ》

年を取ると誰もが感じるように、「あと何回、桜を見ることができるのやら」と思うことがある。「何を達観ぶってるんだ」と笑われそうなので、口にすることは絶対にないが…。

最晩年のモンテーニュは第3巻第13章「経験について」(関根秀雄訳)にこう記す。

《我々は静かに人間の宿命に堪えなければならない。いくら医学がひかえていても、我々は老いるように・衰えるように・病気になるように・できているのだ》

《お前は病気だから死ぬのではない。生きているから死ぬのである。死は病気の助けを借りなくたって、立派にお前を殺すのである》

「モンテーニュ師匠、仰せの通りです」と返答する以外にない。その時を心静かに待ちたいものだ。可能であれば、車いすに座らせてもらい、満開の波月の桜の下で息を引き取りたいものだ。それが私の最後の希望だ。そう都合よくはいかないとは思うが、希望は希望として記しておく。

ソメイヨシノをくさす小林秀雄

桜というと、すぐに思い起こすのは2つの短編小説だ。鈴鹿峠に住みついた山賊と、残酷で美しい女の生と死を描いた坂口安吾の『桜の森の満開の下』と、《桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている!》と書き出される梶井基次郎の『桜の樹の下には』だ。ともに幻想的で不穏な空気に包まれた作品だ。執筆中の安吾と基次郎の頭にあった桜が何であったかは、判然としないが(鈴鹿峠の桜は山桜の可能性が高い)、山桜の下で「心が浄化されるようだ」といったお気楽な感想を述べる私と違い、本物の作家の業の深さを強烈に感じさせる。ただ、それが人間として幸せなのか、と思ってしまう。私はお気楽な自分でよいと確信している。

トンネルの先にみえる波月の桜=千葉県御宿町

さて山桜とくれば、江戸時代の国学者、本居宣長の《敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花》を思い出す日本人も多いだろう。ただ、神風特別攻撃隊には、宣長の歌から取られた「敷島」「大和」「朝日」「山桜」という隊名が付されていたことを記憶する日本人が現在どれほどいるだろうか。

宣長は自宅の庭に山桜を植え、自分が死んだあとは墓に山桜を植えてほしいと遺言をしたためている。 『本居宣長』を著した文芸評論家の小林秀雄は、ソメイヨシノを「一番低級な桜」とくさし、育てやすさゆえに日本列島を覆ってしまった現実を嘆いていた。私は小林ほどの嫌悪感は持たないが、1980年代後半、バブル経済に浮かれて正気を失った日本人が、満開のソメイヨシノの下で飲めや歌えの大宴会に興じている姿がとてつもなく醜く感じられ、ソメイヨシノに罪はないものの、以前のように愛せなくなってしまった。ついでに書けば満開のソメイヨシノは、東京都港区芝浦にあったディスコ、ジュリアナ東京のお立ち台で、大きな扇子を振り回しながら踊る、きわどい衣装の若い女性を連想させる。

こんなことを書きながら、波月の桜を愛(め)でた夜、千葉県いすみ市札森のさくら街道へ足を延ばした。ライトアップされたソメイヨシノの並木が、水を張った田んぼにきれいに映る。その光景は幻想的で言葉を失ってしまった。人間はいいかげんなものだ。

桜に仮託した民族の精神は…

話題をがらりと変えよう。先日、「インターネット花キューピット」というサイトを眺めていて、目からうろこが落ちる思いがした。こうあったのだ。

《ちなみに、「桜をテーマにしたポピュラー音楽」というのは非常にたくさんありますよね。しかし、これらのほとんどは平成に入ってから生まれたもので、昭和には桜をテーマにしたポピュラー音楽というのはほとんどないのです》

いまでは数多くのミュージシャンが桜をテーマにした楽曲を発表しているが、それは平成に入ってからだというのだ。確かに昭和の「桜ソング」で思いつくのは軍歌「同期の桜」ぐらいだ。あと、さくらと一郎という演歌デュオもいたが、これは「桜ソング」とは関係ない。

「桜ソング」の先駆けとなったのは、スピッツが平成8年にリリースした「チェリー」らしい。これ以降、現在に至るまで数え切れぬ「桜ソング」が作られヒットしてきた。主だったものを挙げてみよう。福山雅治「桜坂」、宇多田ヒカル「SAKURAドロップス」、森山直太朗「さくら(独唱)」、河口恭吾「桜」、中島美嘉「桜色舞うころ」、ケツメイシ「さくら」、いきものがかり「SAKURA」などなど。近年で印象に残っているのは、あいみょんの「桜が降る夜は」だ。かつての「クリスマスソング」のように、「桜ソング」は平成バブルをへて、令和に入ってようやく沈静化し始めた。考えてみれば、出会いと別れを鮮やかに象徴する桜を歌にしない手はないはずだ。

ところが、ないがしろにできない重大な問題があった。それは日本人が桜に仮託してきた「日本精神」「武士道」「大和魂」だ。桜が象徴する3つの精神から昭和の日本人は自由になれなかった。桜に仮託した民族の精神は、平成に入ってから、すなわち半世紀の時間をへて忘却されるようになった。果たしてそれは日本人として喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか…。私は判断を保留したい。さて、最後に下手な俳句を1句。

花吹雪昭和の記憶霞(かす)みけり

(桑原聡)

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