25歳の福永選手は、去年の世界選手権の男子400メートル視覚障害のクラスで金メダルを獲得し、日本パラ陸上競技連盟の選考基準に基づいてパリパラリンピックの代表内定を確実にしています。

大会2連覇を目指す福永選手はスタートから力強い走りを見せましたが、最後は東京パラリンピックの金メダリストで世界記録を持つ、アルジェリアのスカンデル ジャミル・アスマニ選手に大きく差をつけられてフィニッシュし、47秒86のタイムで銀メダルでした。

アスマニ選手はみずからの世界記録を0秒26更新する46秒44をマークして、金メダルを獲得しました。

また、日本選手3人が出場した女子走り幅跳び義足のクラスの決勝は、兎澤朋美選手が5回目に4メートル66センチを跳んで銀メダルを獲得しました。
兎澤選手は、女子100メートルに続いて、今大会2つ目の銀メダル獲得です。

前川楓選手は3回目に4メートル66センチをマークして兎澤選手と並びましたが、2番目の記録が兎澤選手を下回り、銅メダルでした。

湯口英理菜選手は4メートル5センチで6位でした。

このほか、男子やり投げの視覚障害のクラスは、▽若生裕太選手が56メートル84センチで8位、▽政成晴輝選手が47メートル35センチで11位でした。男子100メートルの脳性まひなどのクラスは▽松本武尊選手が、12秒35のタイムで4位でした。

福永凌太選手とは

福永凌太選手は、滋賀県野洲市出身の25歳。

「錐体ジストロフィー」という病気で、小学4年生のころから徐々に目が見えづらくなり、離れたものや細かいものが見えづらいといいます。

小学5年生で陸上競技を始め、大学では10種競技の選手として、健常者の大会で日本のトップレベルの選手としのぎを削りました。

4年前の秋、パラ陸上に転向すると、1メートル82センチの長身と持ち前の運動神経を生かし、初めて挑んだ大会の男子100メートルと円盤投げの視覚障害のクラスで日本記録を更新。

その後、東京オリンピック代表の川端魁人選手と二人三脚で練習を重ね、いちから走り方を見直すなどして、短距離に特化した走り方を目指しました。

初めて出場した去年の世界選手権は、400メートルの予選でアジア新記録をマークし、決勝も予選に並ぶタイムで金メダルを獲得して、日本パラ陸上競技連盟の選考基準に基づいて、パリパラリンピックの代表内定を確実にしました。

また、走り幅跳びで銀メダルを獲得しました。ことし4月には、日本体育大学大学院に進学し、パラアスリートに特化した陸上部で研さんを積みんでパリパラリンピックで金メダルを目指します。

兎澤朋美選手とは

兎澤朋美 選手は、茨城県つくば市出身の25歳。

小学5年生の時に骨肉腫という病気で左足を失いました。

東京パラリンピックの開催決定をきっかけに出場を目指すようになり、パラアスリートに特化した日本体育大学に入学して、本格的に陸上を始めました。

得意の走り幅跳びでは義足を使いこなす技術を向上させて記録を伸ばし、東京パラリンピックに出場しましたが、自己ベストには及ばず4位と、メダル獲得はなりませんでした。

去年の世界選手権も、世界のトップ選手と勝負できる5メートルの大台にわずかに及ばず4位でしたが、日本パラ陸上競技連盟の選考基準に基づいて、パリパラリンピックの代表内定を確実にしました。

助走のスピードを上げながら、安定したジャンプを跳ぶトレーニングを重ね、パリパラリンピックでメダル獲得を目指しています。

福永選手「今は悔しさしかない」

大会連覇を目指したものの銀メダルだった福永凌太選手は、「予選から比べると修正できたし、前半の200メートルでスムーズに入っていくことができたので、そのまま走りきることができた。タイムもよかったと思う」と振り返りました。そして、みずからが持つ世界記録を更新し金メダルを獲得した、アルジェリアのスカンデル ジャミル・アスマニ選手について「追いかけようと思ったが、ちょっと遠いなと感た。シンプルに相手が速かったが、今は悔しさしかない」と悔しそうな表情で話していました。

兎澤選手「不甲斐なさしか感じない」

女子走り幅跳びの義足のクラスで銀メダルを獲得した兎澤朋美選手は「不甲斐なさしか感じない。5メートルをマークするとずっと自分の中で言い続けてきたので、自己ベストすらも更新できなかったという反省しかない」と悔しさをにじませながらレースを振り返りました。

そのうえで、パリパラリンピックに向けて「気持ちの持って行き方に課題があると感じる。しっかりこのあと振り返りをして反省点を洗い出したい」と気を引き締めていました。

前川選手「人生でいちばん楽しかった」

女子走り幅跳びの義足のクラスで兎澤朋美選手の2番目の記録を下回って銅メダルとなった前川楓選手は「めちゃめちゃ楽しかった。人生でいちばん楽しかったし、うれしいし、いちばん悔しいです」と笑顔で心境を語りました。

そのうえで、今後に向けて「すごくいいジャンプができてメンタル面でも成長できている。もっともっと遠くに跳ぶためにスピードも技術も上げていきたい」と話していました。

男子5000メートル車いす決勝 やり直しレースで樋口は6位

選手どうしが衝突して3人が転倒した男子5000メートル、車いすのクラスの決勝のやり直しのレースが行われ、銀メダルだった樋口政幸選手は6位でした。

男子5000メートルの車いすのクラスの決勝は今月18日に行われ、最後の直線で外側から追い抜こうとした中国の選手がバランスを崩し2番手のタイの選手と衝突して3人が転倒しました。

世界パラ陸上競技連盟は衝突の原因を作ったとして中国の選手を失格とし、23日、この選手を除く選手でレースのやり直しが行われました。

18日に銀メダルを獲得し、日本パラ陸上競技連盟の選考基準に基づいて、パリパラリンピックの代表内定を確実にしていた樋口選手はラスト1周から一気にピッチを上げた先頭集団についていけず、10分58秒47で6位でした。

吉田竜太選手は、最後の直線で競り負け、10分58秒22で4位でした。

樋口選手「手から滑り落ちた」

男子5000メートル、車いすのクラスで6位だった樋口政幸選手は「再レースは、予想していなかったし、なかなかないことだとは思う。それでも決まったなかで戦っているわけだが、いいレースができなかった」と振り返りました。

その上で「銀メダルは、偶然手に入ったけど、手から滑り落ちたような形だ。しかたがない」と複雑な表情で話していました。

そして、今後に向けて「国際大会はこれで最後だ。競技を始めてからちょうど20年なのでいい節目かなと思う。悔しい結果になったがやってきたことに後悔はない」と今大会で日本代表としては最後とする考えを示しました。

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