“湘南の風”が吹くレモンガススタジアム平塚で、どよめきが起こった。
学生個人陸上競技選手権、15日に行われた男子100m準決勝で栁田大輝(20、東洋大3年)が駆け抜けると、掲示板の速報タイムで9秒98と表示された。
いつも以上にタイム集計に時間を要した後、再び掲示板が灯り、正式タイムは9秒97。だが風が追い風3.5mで惜しくも公認記録(追い風2.0m以内)とはならなかった。日本勢史上5人目となる9秒台の快挙は達成ならずも、20歳の若きスプリンターが9秒台という大台にまた一歩近づいた。
転機は新型コロナウイルスの影響を受けた2020年
2020年、新型コロナウイルスの影響でインターハイなど様々な大会が中止となり、もちろん栁田も影響を受けたひとり。大会だけでなく練習の場すらままならなかった。しかし、そんな中でも前を向き、幅跳びの練習はできなくても走る練習ならと、できる限りのことを尽くし、スプリンターとしての才能が開花し始める。
日本のトップ選手が集ったゴールデングランプリ陸上で、活動の場を失った高校生たちのために特別招待枠「ドリームレーン」が設けられ、その特別枠で栁田に声がかかった。
突然訪れた国立競技場での大舞台。緊張して当たり前の中、当時17歳の栁田はレース前に笑顔をみせる余裕が垣間見られた。予選では桐生祥秀、ケンブリッジ飛鳥というトップ選手を相手に4着に入り、高校2年生とは思えない落ち着いた走りで自己ベスト(10秒27)、さらには決勝進出の快挙を果たした。
決勝では多田修平、小池祐貴に先着し5位に入る大健闘。「間違いなくドリームレーンで人生が変わりました。初めて10秒0台の速さを体感して、憧れが目標になった」と後に話した栁田。昨年7月のアジア選手権で自身初の10秒0台となる10秒02をマークし、同年の世界陸上では100mとリレーで代表入り。わずか3年で当時の目標を達成してみせた。
家族5人“陸上一家”
そんな栁田の出身は群馬県、速さの原点は家族にある。父・輝光さんは名門・東海大学で三段跳の選手として活躍。母・昌代さんは日本ジュニア選手権で混成種目の日本一に輝いた経歴を持つ。現在、長男・大輝と同じ東洋大に通う次男の聖人(きよと)選手は400mHを専門とし、高校時代では全国インターハイ4×400mリレーで準優勝。大学の寮は兄弟で同部屋という仲の良さだ。
兄二人が通った東農大二高に通う三男の聖大(あきひろ)選手は、国体の走幅跳で優勝。まさに、輝かしい“陸上一家”だが、両親から陸上競技を強制されるどころか勧められたこともなかったという。
「野球が好きだったので本当は中学で野球部に入ろうと思っていたんですけど、チーム競技は性格的に違うなと感じて。自分の好きなようにできる個人競技の陸上の方がいいかなと言う感じで入った。父には陸上部を勧められたことはなかったけど、休日などに父と兄弟三人で競技場に走りに行ったりして。陸上部に入って父親は嬉しかったんじゃないかなと思います」
武器は二刀流で培った日本人離れした“バネ”
小学生の頃から陸上の大会に出場したこともあったが、本格的に陸上競技を始めたのは中学から。当初は走幅跳と100mの二刀流だった。100mは全国大会で準優勝と輝かしいが、走幅跳はなんと全国優勝を達成。
当時は走幅跳の才能を評価されていた。そんなトップレベルの跳躍力、いわゆる“バネ”が100mの才能を開花させた。100mを走り切る歩数は約44歩、これは今の日本トップ選手の中でもサニブラウン以外にいない。昨年、日本選手権で優勝を果たした坂井隆一郎の歩数は約52歩、9秒95の日本記録を計測したときの山縣亮太でも約48歩。バネを生かしたストライドで、他の選手よりもその一歩で遠くに進むことができる、それが栁田の速さのヒミツだ。
「僕の武器はやっぱりストライド。高校までは地面を蹴ったあと上に浮いてしまっていて上手く推進力に繋げられなかったが、徐々に前に進む感覚を掴めて推進力に繋がっている。それをいかに早いピッチ(足の回転速度)で行えるかが、9秒台の鍵なんです」と話す。
五輪代表を争う日本選手権の開幕は6月27日。弱冠20歳の次世代エースが“44歩”でパリまで駆け抜ける。
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