25日都内で開かれた会見には、パリパラリンピック、卓球の日本代表に内定している6人の選手が出席しました。

このうち、腕や足に障害があるクラスの岩渕選手は、ことし5月のパリパラリンピック世界最終予選で優勝できず代表内定を逃したものの、その後、国際卓球連盟の推薦枠で選出され代表に内定した経緯に触れ「選考レースを戦って自力で出場権を獲得できない中、諦めかけていたところでうれしいニュースをいただき、すごく恵まれているなと感じている。メダル獲得を目指しつつ、自分が好きなパラリンピックの舞台をより好きになれるようベストなパフォーマンスを目指して頑張りたい」と話しました。

また、去年のアジアパラ大会、男子シングルスで金メダルを獲得し、パリパラリンピックの代表に内定した八木克勝選手は、腕や足に障害があるクラス7の男子で現在、世界ランキング2位で「パリパラリンピック出場は、3年間頑張ってきた自分のご褒美なのでしっかり楽しみたい。東京ではメダルが取れなかったので、パリは出場するだけではなく、最低でも銅メダル以上をとりたい」と意気込んでいました。

会見にはこのほか、パリ大会の代表に内定している、車いすのクラス4の男子で世界7位の七野一輝選手や、同じクラスの齊藤元希選手、それに、腕や足に障害があるクラス10の舟山真弘選手、腕や足に障害があるクラス8の女子で世界6位の友野有理選手が出席しました。

選手たちは、来月から合宿を行ったあと、8月下旬にパリへ向けて出発する予定だということです。

岩渕幸洋選手とは

岩渕幸洋選手は東京 練馬区出身の29歳。

東京パラリンピックでは日本選手団の旗手を務めました。

リオデジャネイロ大会から3大会連続のパラリンピック出場です。

岩渕選手は生まれた時から両足に障害があり、特に左足の筋肉がつきにくく、足首を曲げることができないため、固定する装具をつけてプレーします。

初出場のリオデジャネイロ大会では1ゲームも奪えずに予選で敗退し、雪辱を誓って臨んだ東京パラリンピックでは1勝2敗の成績で予選リーグで敗退しました。

ことし5月、タイで行われたパリパラリンピック世界最終予選は男子シングルス3位で代表内定を逃しましたが、その後、国際卓球連盟に招待枠で選出され、パリパラリンピックの代表に内定しました。

八木克勝選手とは

八木克勝選手は愛知県出身の34歳。

2大会連続のパラリンピック出場です。

生まれた時から両腕に障害があり、ひじから先が短いために手を伸ばすことができませんが、鍛え上げられた足腰を生かした豊富な運動量とコースをつく巧みなショットが持ち味です。

初出場の東京パラリンピックでは、決勝トーナメントの1回戦で敗退しましたが、古武術の動きなどを練習に取り入れるなど、体の動かし方の研究を重ね、去年、中国の杭州で行われたアジアパラ大会の男子シングルスで優勝し、パリパラリンピックの切符をつかみました。

七野一輝選手とは

七野一輝選手は東京都出身の25歳。

初めてのパラリンピック出場です。

七野選手は両足に障害があり、中学1年生のときに卓球を始めました。

立ってプレーするクラスで東京パラリンピック出場を目指しましたが、勝てば代表が決まる国際大会の決勝で敗れ、代表内定を逃しました。

2022年には練習中に転倒して股関節を痛め、車いすのクラスへの転向を余儀なくされます。

持ち味の強烈なフォアハンドと競技用車いすのチェアワークを磨き、転向からおよそわずか1年で世界ランキング3位に駆け上がり、その後、パリパラリンピックの切符をつかみました。

齊藤元希選手とは

齊藤元希選手は神奈川県出身の22歳。

初めてのパラリンピック出場です。

先天性の脳性まひで足が不自由で、中学生の頃から卓球を始めました。

多彩なサーブとコースを突く巧みなショットが持ち味で、ことし5月、タイで行われたパリパラリンピック世界最終予選の男子シングルスで優勝し、初めてのパリパラリンピックの代表に内定しました。

舟山真弘選手とは

舟山真弘選手は埼玉県出身の19歳。

チーム最年少で、初めてのパラリンピック出場です。

舟山選手は4歳で骨にできるガンの骨肉腫にかかり、右肩に障害が残りました。

小学5年生のときに卓球を始め、腕に障害があっても努力しだいで上達できる卓球に、夢中になりました。

舟山選手は立ってプレーし、運動機能障害が最も軽いクラス10で、健常者の選手とも堂々と渡り合うプレーで、現在は早稲田大学卓球部に所属しています。

安定感のあるフォアハンドを持ち味に、去年11月の全日本選手権で3連覇を達成すると、ことし1月、アメリカで行われた国際大会でも優勝しました。

友野有理選手とは

友野有理選手は神戸市出身の24歳。

立ってプレーし、運動機能障害が中程度のクラス8で、2大会連続のパラリンピック出場です。

5歳から卓球を始め、11歳の時に脳梗塞を患い、右半身にまひが残りました。

多彩なサーブで主導権を握るプレースタイルが持ち味で、初めてのパラリンピックとなった東京大会ではシングルスの予選リーグを突破したものの、準々決勝で敗れ、メダル獲得はなりませんでした。

ことし2月にブラジルで行われた国際大会で優勝を果たして実績を積むなどパリパラリンピックの切符をつかみました。

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