高校野球の発展や選手の育成に尽くした指導者を日本高校野球連盟と朝日新聞社が表彰する「育成功労賞」を、高知県・須崎総合監督の北岡茂さん(61)が受賞した。また、高知県高野連が選ぶ「高知県功労賞」に、県高野連の前会長、谷村孝二さん(61)が選ばれた。

育成功労賞 須崎総合監督・北岡茂さん

 高知市春野町で中学から野球を始めた。高知高の選抜大会優勝をテレビで見て、やりたくなった。その高知高に進み、3年時には甲子園に代打で出場した。

 赴任したそれぞれの学校に思い出がある。

 1990年に城山で初めて硬式野球部監督になった。当初は部員2人。翌年から夏の大会に出て、7年間で2勝した。

 98年からは室戸で責任教師に。チームが寮を構え、甲子園を目指して強化していた時期だ。ときには寮に泊まり、生徒の成長を目の当たりにした。

 2003年から伊野商、09年からは高知西で監督。高知西は県ベスト4に2度進み、文武両道を証明した。「学校全体が部活も、勉強も頑張っていた時期。部活を頑張ると進学にもつながるんだなと思いました」

 高知東で監督をしていた19年夏の試合も記憶に残る。1―1で延長十三回からタイブレークに入り、延長十六回に一挙7点を奪って勝利した。「ここは満塁策で行こう、とか。毎回、必死でした」

 そんな長きにわたる指導者生活のなかでも、新型コロナ禍で部活動ができなくなった時期が最もつらかった。高知東の部員宅を訪問し、体を動かせよ、と励まして回った。

 「練習して勝てないのもしんどいけれど、練習ができないのはもっとつらい。当時の3年生は不完全燃焼だったと思う」

 監督・責任教師の期間は通算30年3カ月に達した。「健康に恵まれたおかげで長く続けてこられた。あとは巡り合わせですかね」と振り返った。(蜷川大介)

高知県功労賞 前高知県高野連会長・谷村孝二さん

 今は校長を務める母校の追手前で、野球部監督を20年務めた。だが、遊撃手で主将も経験した高校時代は、ほろ苦いものだった。

 3年間で監督が2度代わり、公式戦の勝利はゼロ。ある日、グラウンド整備をしていると体育教師に「野球部にやる砂はない」と言われた。

 「いつか、追手前の後輩たちをしっかりと指導し、一目置かれる野球部に育てたい」。大学卒業後、都市銀行の内定を辞退して高知に戻り、教員となった。

 1988年に安芸の監督に。練習が厳し過ぎて部員が激減した年もあったが、手は抜かなかった。

 94年に念願の母校の監督に就いた。同年夏の高知大会の2回戦の相手は、なんと前年まで手塩にかけて育てた安芸だった。1―3で負けた。この年の安芸は勝ち進み、準優勝した。

 「濃密な思い出が詰まった、でもあっという間の20年だった」

 2014年に監督を退き、19年から県高野連の副会長を2年、会長を2年務めた。

 副会長時代、最も苦労したのは新型コロナ対策。夏の選手権大会が中止となった20年夏の県独自大会では、「お手本」がない中で選手同士の距離や滞在時間、消毒の方法などを必死に検討し、参加各校の了解を得た。

 「野球に一生懸命取り組むことが高校野球の神髄。勝ち負けはその次」と改めて思った。「プレーヤーが一番楽しいけど、生徒と一緒に泣ける監督の立場も好きだ」

 様々な出会いをくれた高校野球に、これからも関わり続ける。(原篤司)

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