四球をからめて少ない安打で効率よく得点し、投手を含めた堅い守りで失点を抑える。この勝ちパターンで、神村学園が6月2日のNHK旗決勝で鹿屋農を下し、2年連続6回目の優勝を果たした。昨年のNHK旗から県内の公式戦では負け知らず。7月6日に開幕する全国高校野球選手権鹿児島大会の優勝候補の筆頭だ。
神村学園は2003年の創部。県外出身者を多く起用して05年の選抜大会に初出場し、準優勝した。07年夏には鹿児島大会で初優勝し、鹿児島実と樟南の2強を脅かす存在に。昨夏の甲子園で4強に入り、全国高校野球選手権大会の最高成績では鹿児島実に並んだ。
鹿児島県勢の最高成績は1994年の樟南の準優勝だ。その前後では91年に鹿児島実、99年に樟南が4強。選抜では96年に鹿児島実が優勝した。
記事の後半で、樟南が準優勝した当時のエース福岡真一郎さんのインタビューがあります。
当時の県高校野球連盟理事長・児玉義人さん(77)は「夏の全国制覇も近いと思ったのですが」と振り返る。
90年代に県勢が躍進した背景には県高野連による強化策があった。
児玉さんは89年に理事長に就任すると、各校の主将に選手権の開会式を見学させた。甲子園の雰囲気を肌で感じ、その感動を仲間に伝えて、甲子園をめざす気持ちをかきたてるためだ。
樟南(旧鹿児島商工)の枦山智博監督、鹿児島実の久保克之監督、鹿児島商の塩瀬重輝監督を口説いて県内各地域で技術指導をしてもらった。甲子園常連校の監督からノックを受け、選手たちは基本の大切さを教わった。県審判協会にはルール指導を依頼した。「県全体のレベルがあがり、甲子園での躍進につながった」と児玉さんはみる。
だが県勢は2001年から4年続けて選手権初戦で敗退するなど一時、低迷した。北海道や東北、北陸勢のレベルが上がり簡単には勝てなくなった。また、鹿児島市とその周辺の高校に集中していた有力選手が分散するようになったことも理由とみられる。14年に鹿屋中央が大隅半島勢として初めて優勝し、離島勢の大島が22年に準優勝したのは、その象徴だろう。
選手権での県勢の通算成績は71勝71敗で勝率5割。九州・沖縄では沖縄、福岡、熊本に次ぐ。一方、勝率4割未満の佐賀県勢が2度も優勝している。樟南が決勝で敗れた相手が佐賀商だった。昨夏の神村学園の4強進出をきっかけとして、「30年前の忘れ物を持ち帰って欲しい」と児玉さんは願っている。
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県勢唯一の準優勝から今年でちょうど30年。この間に鹿児島の高校野球はどう変わったのか。選手や指導者、マネジャーらの今を追った。(宮田富士男)
優勝意識せず臨んだ決勝 樟南元エース・福岡真一郎さん
樟南のエースとして夏の甲子園でチームを準優勝に導いた福岡真一郎さん(47)。当時の思い出を聞いた。
――高校に進学する際、何校から誘いがあったか
県外も含めて4、5校くらいだったと思う。鹿児島実業からも誘いがあったと思う。樟南に進んだのは、いち早く枦山智博監督に声をかけてもらったから。
――鹿児島県勢として初めての決勝進出だった。何か感じたことは
特段意識はしていなかったと思う。優勝旗を持って帰るぞとか、全然考えてない。表向きはそういうことを言うと思うけど。とりあえず「早く終わってくれ」と。
――県勢はまだ夏の甲子園を制覇していない。そのことについてどう思うか
いま樟南にしろ鹿実にしろ、鹿児島が元気がないような。なかなか甲子園で勝てないので寂しい気持ちはあります。
――優勝してほしいか
そうですね。元気のない県勢をみると、やっぱり頑張ってほしいなと思います。(聞き手・石垣明真)
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