等々力に、あのレジェンドが戻ってくる。
元サッカー日本代表MFで、18年間のプロ生活を川崎フロンターレ一筋で過ごした中村憲剛さん(43)が29日、引退試合を12月14日に行うと明らかにした。
- 育ててくれた川崎の節目に、添える花 レジェンド中村憲剛が語る胸中
会場はもちろん、古巣の本拠・UvanceとどろきスタジアムbyFujitsu(等々力陸上競技場、川崎市中原区)だ。中村さんにとって、全ては川崎から始まったと言っても過言ではない。中大時代、つてを頼ってフロンターレの練習に参加し、プロ入りがかなった。
中村さんは朝日新聞の取材に「僕は川崎に育ててもらったと思っています。川崎市が迎える市制100周年という大切な節目に、少しでも花を添えることができたらなって思うんです」と話した。
デビューした2003年当時、フロンターレはJ2だった。悪天候の日は観客が3千人や4千人という試合もあった。ポスターを貼ってもらうために商店街を回ったり、サポーターと積極的に交流したりと、クラブが地元に根を張るための活動に協力を惜しまなかった。
「地道に地域に根ざすような活動をやって、少しずつクラブが大きく、強くなっていった。サッカー以外のことをやる必要があるのかという意見の選手もいる。でも、僕は楽しかった。みんなで盛り上がる、というのがね」
コロナ禍だった20年12月、盛大な引退セレモニーで送り出された。多くのサポーターやクラブ関係者、家族が参加してくれた。ただ、声出し応援は禁止されており、声援は録音されたものだった。
生の声援を受けられなかったという悔しさもあったが、もう一つの思いの方が大きかった。
「サポーターのみなさんがチャントを歌って、『憲剛を全力で送り出せた』と思ってくれたらいいなって。僕は、引退試合をしてすっきり次のステージへ、という段階は既に過ぎていますから」
今年、クラウドファンディングを使って、中村さんの功績をたたえる「バンディエラ(旗頭)ゲート」がU等々力にできた。4年が経った今もフロンターレのサポーターにとって特別な存在であり続けている。
「引退から時間が経って、僕のプレーを忘れてしまった人もいると思うんです。12月、久々にプレーするところを見せたら、当時を思い出してくれるかな?」
今は指導を兼ねてユース(高校生)世代とボールを蹴りながら、本番に備える日々だ。
「等々力と言えば、試合に全く関係ない変わったイベントをやって、というイメージの人が多いと思う。ピッチの内外で、とにかく楽しく盛り上がる一日にしたいですね」(松沢憲司)
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