ユニホームも帽子もまちまちの選手たちが、一つのチームでプレーする。少子化などによる部員不足で、高校野球の大会に複数校が連合チームを組んで出場する光景は、この10年余りで珍しいことではなくなった。
ただ、その組み合わせや、単独か連合かは、3年生の引退や新入生の入部で、猫の目のように変わる。
八幡浜工業高校(愛媛県八幡浜市)2年生で主将の下久保(したくぼ)龍人(りゅうと)選手(16)もそんな経験をした一人だ。
4月初め、同校のグラウンドで、下久保選手ら2年生の野球部員4人は落胆と心配を隠せなかった。弓達敦監督(28)から、今夏の愛媛大会は「内子小田・上浮穴・大洲農・済美平成・八幡浜工」の5校連合で臨むと告げられたからだ。
「あと3カ月しかない。連係がうまくいくか、なじめるか。宇和の人たちとはうまくいっていたのに」
八幡浜工は、昨年秋から同じ県南部の宇和(愛媛県西予市)と連合を組んでいた。5日ほど前、このチームで地区予選2勝をあげて進出した春の県大会に臨み、私立強豪に敗れたばかりだった。
かつては元巨人の選手も 3年の引退で部員4人に
1964年の創部で、元巨人の河埜和正や元ヤクルトの山部太らプロ野球選手も輩出した伝統ある野球部。翻弄(ほんろう)の始まりは、単独で出場した昨夏の愛媛大会の後だった。3年生が引退し、部員が今の2年生4人だけになった。
秋の県大会に向けて、連合を組むことになった相手が選手8人の宇和。ただ、下久保選手らは「乗り気じゃなかった」と認める。単独で出られない不満を引きずっていた。
気持ちが変わったのは、西予市営宇和球場であった最初の合同練習だった。
宇和の選手たちは、よく声を出し活気があった。技量は総じて自分たちより上。フレンドリーですぐ打ち解けた。同学年の選手とは下の名前で呼び合うようになった。
そして、今春の地区予選。秋の県大会での初戦敗退の雪辱を胸に下久保選手は三塁手として出場した。初勝利した瞬間、「よっしゃー!」と雄たけびを上げ、宇和の選手たちとグラブでタッチを交わした。
一転、宇和との連合チームが解消となった大きな理由は、新年度、宇和に1年生が10人以上入部し、八幡浜工と合わせると上限の20人を超えることになったからだ。八幡浜工の新入部員はゼロだった。
「秋、春と一緒にやってきた仲間と、夏のゴールを目指せないのは悲しい」。弓達監督は選手たちの心情をおもんぱかった。
連合チームの組み合わせ「お見合いのようなもの」
愛媛県高野連によると、県内では連合の組み合わせは当事者校同士の話し合いで決まる。連合を経験した県内のあるチームの部長は「お見合いのようなもの」と話す。
ただ、5校連合チームで練習を始めて2カ月余り、下久保選手は夏の愛媛大会を目前に「このチームで一日でも長くプレーしたい」と前向きだ。
新たに組んだ4校の選手たちの中には、宇和と違い、技術がつたなかったり意欲が物足りなかったりする選手もいて「最初はモチベーションが下がった」。
しかし、下久保選手は「いつまでも、めそめそしていたらいけない。自分たちにできることをやろう」と八幡浜工の部員3人に声をかけた。自身は中学でも、連合の組み合わせや連合か単独かについて、心が落ち着かない経験があった。
気持ちを切りかえると、宇和との連合に比べ、八幡浜工の選手たちが他校の選手をリードする場面が多いと気づいた。他校の選手が上達する姿にも喜びを感じられるようになった。
連合であっても、大会に出場できないよりはるかに良い。下久保選手ら八幡浜工の選手4人に共通する気持ちだが、もう一つ秘めた思いがある。3年生となる来夏こそは単独出場することだ。
八幡浜工は再来年度、八幡浜市内の2校と統合する方針が決まっている。まもなく消える「八幡浜工」の名前を背負って有終の美を飾りたい。
下久保選手らは練習に打ち込みつつ、中学生の弟らに入学を勧めたり、知り合いの硬式野球クラブ指導者に協力を求めたりしている。
下久保選手は言う。「正直、やっぱり単独の方がいい。最後は工業生として単独で出場して、勝ちたい」(中川壮)
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