第106回全国高校野球選手権新潟大会(朝日新聞社、県高校野球連盟主催)は8強が出そろい、20日から準々決勝が始まる。試合をライブ配信している「バーチャル高校野球」などで実況を務める新潟テレビ21の男性アナウンサー3人は、高校野球の経験者だ。白球を追った青春の日々はどんなものだったのか。人生にどんな影響を及ぼしているのか。また、今回の新潟大会に何を感じ、球児たちに伝えたいのはどんなことか。思いを語り合ってもらった。(聞き手・鈴木剛志)

 ――高校野球を経験して何を得ましたか

 岡拓哉アナウンサー 私にとって、目標に向かうためにモチベーションを持つことの原点は高校野球です。目標を持つことの大切さを学べたと思います。

 大石悠貴アナウンサー 目標に向かって頑張ったからこそ、得られるものがあるっていうのを学びましたね。アナウンサーという仕事においても、すごく通ずるものがあるし、生きているものもありますね。

 大角怜司アナウンサー やっぱり仲間ですね。僕は寮生活だったから仲間と1年に360日ぐらい一緒にいました。一緒にご飯をいっぱい食べて、いっぱい練習した仲間です。そんな仲間に巡り合えたのが一番良かったな。

 岡 あの3年間のことって、一生、仲間と話ができるよね。

 ――最高の思い出とは何でしょう

 岡 その時々の自分のプレーも印象深いですけど、やっぱり高校野球をやった3年間のトータルが最高の思い出なのかな。

 大石 3年の夏にレギュラーの二塁手で出場し、初戦でダイビングキャッチするファインプレーができたんですよ。そのときの歓声ですね。

 大角 僕は公式戦のレギュラーで出ていたわけじゃないんです。でも2年生の秋の県大会が終わったぐらいに旧浦和市(現さいたま市の一部)の準公式戦のような大会に出場できたんです。新潟のじいちゃんやばあちゃんが応援に来てくれたんですが、「8番サード大角」とアナウンスが流れた瞬間、ばあちゃんが泣いてくれた。その大会では3試合で8打数6安打だったんですが、この3試合を全部、じいちゃんとばあちゃんが見てくれたことはうれしかったです。いつも心配をかけていたから。

 岡 3年の時にハードオフ・エコスタジアム新潟ができました。開会式で入場行進したときの景色が忘れられません。こんな球場で野球ができるんだとすごく感動しました。

 ――今回の新潟大会で印象に残るチームやシーンはありますか

 大石 取材させてもらった万代です。監督が手紙を書いたり、先輩たちが勧誘したりして1年生が10人入部し、3年ぶりに単独出場できました。開会式で「万代高校」というアナウンスとともに行進する姿はぐっとくるものがありました。初戦敗退でしたが、最後まで主将を中心に声を掛け合う姿にも感動しました。それぞれのチームにストーリーがあって目標がある。万代は単独出場が一つの目標だったので、それをかなえた選手たちが躍動する姿には心を打たれましたね。

 大角 今大会はノーシードに強豪がいて、大会序盤から好カードがたくさんありました。ノーシードの中越は第5シードの加茂暁星を破った。新潟産大付と新潟明訓という強豪ながら、ノーシード同士の対戦が序盤から見られたのも良かったですね。

 岡 公立校の意地を感じる夏ですね。シードの8チームのうち、3回戦までで5チームが姿を消しました。そのうち3チームを倒したのは公立。しかも2桁の背番号の選手がすごく頑張っていました。下級生が多いでしょうが、3年生を上に連れて行くという意地を感じました。もう一波乱、公立が起こしてくれるんじゃないかな、と期待しています。

 ――現在の、そして未来の新潟の球児たちに贈りたい言葉はありますか

 大角 「高校野球ってカッケー(かっこいい)ぞ」っていうことですね。僕も幼いときは日本文理のかっこよさに憧れました。それを子どもたちにも感じてほしいですし、高校野球をやれば一生の思い出になるよって伝えたいですね。

 大石 一瞬とか1秒、1球に全力を発揮して欲しいですね。全力でやるからこそ、「夏」が終わった後も「あの夏、俺たちは全力でやったよね」と思い出に残る。自分たちのためはもちろんですが、先輩や仲間のため、監督や親のため。全力でやってもらいたいなって思います。

 岡 一瞬一瞬を楽しんでもらいたいということです。私はなかなか楽しむっていうことができなかった。その瞬間に見える風景を脳裏に焼き付けて欲しい。一生、忘れられない3年間になります。心から楽しんでもらいたいなと思いますね。

 おか・たくや 小千谷市出身。小学3年から野球を始め、長岡高校ではエースを務めた。2014年入社。アナウンサーとしての座右の銘やモットーは「和而不同(わじふどう)」「雨垂れ石を穿(うが)つ」。32歳。

 おおいし・ゆうき 浜松市出身。中学1年から野球を始め、浜松南(静岡)時代は二塁手。2016年入社。アナウンサーとしてのモットーは「井戸を掘るなら水が湧くまで掘れ」。30歳。

 おおがく・れいじ 柏崎市出身。小学3年から野球を始め、高校は浦和学院(埼玉)に進む。法政大学野球部にも在籍した。2020年入社。「なにげない日常に花束を」がモットー。27歳。

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