「競泳をやってきた中の終盤に来ているので、すごく重みを感じている。1日たりとも逃したくない、後悔したくないという思いがすごくある」
パリオリンピックに向けた心境をこう語ってきた大橋選手。
3年前の東京大会で2冠という快挙を達成し、競技生活に区切りをつけることも考えたといいますが、「観客のいるオリンピックで自分の泳ぎを見せる」ことを1つのモチベーションとして現役を続けてきました。
東京大会後 環境を変える決断
パリの切符をつかむため、東京大会が終わったあとには環境を変える決断もしました。
東洋大時代から指導を受けていた名伯楽 平井伯昌コーチのもとを離れ、新たに石松正考コーチの指導を受け始めたのです。
石松コーチは、ことし引退した入江陵介さんも指導していて、平井コーチのときとは違う練習方法も取り入れ、持ち味のきれいな泳ぎにさらに磨きをかけていきました。
「200メートル個人メドレーのレベルがグッと上がっていて、東京大会の金メダリストだが、チャレンジしていくことが自分には必要」
大橋選手は、レベルアップに向けた意欲を口にしてきました。
大会直前 標高およそ2300mの高地で強化合宿
さらに、オリンピック直前の強化合宿、大橋選手が選んだのは、標高およそ2300メートルの高地、スペインのシエラネバダでした。
大橋選手が個人メドレーの2種目で自己ベストを出したのは、シエラネバダでの合宿を経たあとだったことに加え、古巣と言える平井コーチのチームと一緒に行えるということもあり、“集大成”へ向かうのにふさわしい練習環境としてこの場所を選びました。
大橋選手は「体力や精神力、あらゆる面で自分のことをよく知っている2人のコーチがいるところで練習できるのはすごく心強い」と話せば、石松コーチも「パリが最後のオリンピックになると思うし、東京大会とは違って観客もたくさん入る。最高の舞台でいちばんいい泳ぎができるように、持っている力を全部出せるイメージを持って練習してきた」と語っていました。
“その1秒を削り出せ”
母校 東洋大の駅伝チームの「その1秒を削り出せ」というスローガンが好きだという大橋選手。
「競泳でも0秒1、0秒01の単位でつめていくことが大事。順位や記録はもちろんだが、まずは自分がやりたいレースをしっかりやりたい」と意気込んだパリの舞台。
“目標”の決勝進出ならず
3年前に頂点に立った女子200メートル個人メドレー、大橋選手は準決勝で「ウォーミングアップから調子がよかった」と持ち味の美しいフォームから伸びのある泳ぎを見せましたが、順位を上げられず全体の12位で目標としていた決勝進出はなりませんでした。
レース後、大橋選手は「本当はもっともっと満足する泳ぎをしたかったので、悔しさもあるし難しいなと思った。それがなかなかできないのも水泳の面白さなのかなと思った」とかみしめるように話しました。
大橋「観客の中で オリンピックを楽しむことができた」
無観客だった東京大会を経て、多くの人に自分の泳ぎを見てほしいと願ってきた大橋選手。
満員のスタンドを見て、「この観客の中でのオリンピックを楽しむことができた。平井先生や石松コーチ、たくさんの人にいろいろなことを教えてもらって、支えてくれる人を増やすことができ、いろいろなことがわかるようになった3年間だった。本当に感謝している」と話しました。
金メダリストが見せた集大成の泳ぎ。
思い描いた結果は出せなかったものの、チャレンジャーとして挑み後悔のない泳ぎで、オリンピックでの戦いを終えました。
予選と準決勝のレースはここから
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