「いい経験でき幸せだった」
高谷選手は「決勝でフォール負けするのも僕らしいかなと思った。本当につらい24年のレスリング人生だったが、こんないい経験が人生の中でできたことが幸せだった」と涙ながらに話していました。
「自分が主人公になる」
「今までずっと誰かの脇役だったけれど、今度は自分が主人公になる」
この思いを胸に厳しい練習を積んできた高谷大地選手。オリンピックに3大会連続で出場した兄、惣亮選手の弟ではなく「僕自身を見てもらえるようなレスラーになる」という覚悟を持って、初めてのオリンピックのマットに立ちました。
これまでレスリング界で「高谷」と言えばロンドン、リオデジャネイロ、それに東京と3大会連続でオリンピックに出場した惣亮選手の名前が広く知られていました。
高谷選手はその偉大な兄の練習パートナーを長く務め、練習はもちろん食事やトレーニングなどさまざまな面でサポートに徹してきました。
そして兄の戦いを目の当たりにするうちにオリンピックへの憧れが強まり、みずからも出場を目指すようになったといいます。
兄も手にできなかったメダル
所属先の自衛隊体育学校ではロンドン大会の男子フリースタイル66キロ級で金メダルを獲得した米満達弘コーチから指導を受け「きのうの自分を超えるために1日のうちの24時間すべてをレスリングに費やす」と、厳しいトレーニングに打ち込んできました。
パリ大会への切符がかかった世界選手権の3位決定戦では「200万回は練習してきた」と自信を持つ組み手からフォール勝ちで、初めてのオリンピック出場を決めました。
以降も「自分の中で悔いが残る試合はしたくない。『一片の悔い無し』とマットに立てるようにしたい」と、さらに練習に打ち込んできました。
金メダルにこそ届きませんでしたが、兄も手にすることができなかったメダルを手にし「自分が主人公になる」と誓ったとおり、みずからを鍛え上げた成果を示しました。
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