かつては「マーダーボール(殺人球技)」と呼ばれた激しいコンタクトスポーツ「車いすラグビー」。パリパラリンピックで日本代表が初めて金メダルを獲得。表彰式でキャプテンの池透暢選手がメダルを天に向けて掲げた理由とは?障害の重い人も"装甲車”を乗りこなし、勝利に貢献するチーム戦の魅力を手作り解説でお伝えします。
車いすバスケから発展
車いすラグビーは、2000年のシドニー大会から正式種目となりました。
日本代表は徐々に力をつけてきましたが、前々回のリオ・前回の東京大会では銅メダル。今回初めて決勝に進出し、さらに悲願の金メダルを獲得したのです。
車輪が外れるほどの激しいタックルもあり、かつては「マーダーボール(殺人球技)」とも呼ばれていた「車いすラグビー」ですが、「車いすバスケットボール」を発展させたスポーツとして1977年にカナダで考案されたものです。
障がいも性別も超えてONE TEAMに
車いすにも攻撃型と守備型があり、攻撃型は小回りが利くようにコンパクトですが、守備型は大きなバンパーが飛び出しているのが特徴。このバンパーでタックルしたり相手の進路をブロックしたりする動きが見どころの一つです。
各選手は、障がいの最も重い人が0.5、最も軽い人が3.5と、障がいの程度に応じて7段階に分けられ、コートに出る4人の合計を8ポイント以内に収めなければいけません。障がいの程度や男女をうまく組み合わせるチーム力が問われる車いすラグビー。
亡き友人に捧げた「生きた証」
初めて金メダルを手にした日本代表ですが、感慨ひとしおだったのが、キャプテンの池透暢選手。19歳の時の交通事故で、友人3人を亡くし、自身も全身の75%にやけどを負って左足を切断しました。
表彰式で天に向かって金メダルを掲げたことについて、「友人のために生きた証を残したいと思って生きてきた」と語っています。
日本代表の金メダルで注目された車いすラグビー。ルールの工夫によって、障がいが、より重い人でも輝けるスポーツの可能性に光を当てています。
(「サンデーモーニング」2024年9月8日放送より)
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