ニューイヤー駅伝 in ぐんま(第69回全日本実業団対抗駅伝競走大会。1月1日に群馬県庁発着の7区間100kmで実施)にパリオリンピック™入賞者2人が出場する。
赤﨑暁(26、九電工)はパリ五輪マラソンで6位入賞。2時間07分32秒と大舞台で、それも夏の大会で自己記録を大幅に更新してみせた。三浦龍司(22、SUBARU)は同五輪3000m障害に8分11秒72で8位。トラック個人種目で日本人初の五輪2大会連続入賞の快挙だった。
2人は異口同音に「楽しかった」という言葉をパリで発していた。世界のトップ選手たちがしのぎを削る舞台で、どうしてその心境になれたのだろうか。五輪入賞2選手が翌年のニューイヤー駅伝を走れば、アテネ五輪マラソン5位の油谷繁(中国電力)と、同6位の諏訪利成(日清食品)が走った05年大会以来20年ぶりとなる。
◇ニューイヤー駅伝の区間と距離、中継所
1区 12.3km 群馬県庁~高崎市役所
2区 21.9km高崎市役所~伊勢崎市役所
3区 15.3km 伊勢崎市役所~三菱電機群馬工場
4区 7.6km三菱電機群馬工場~太田市役所
5区 15.9km 太田市役所~桐生市役所
6区 11.4km 桐生市役所~伊勢崎市西久保町
7区 15.6km 伊勢崎市西久保町~群馬県庁
自己記録75番目の赤﨑が五輪で快走できたのは?
パリ五輪の赤﨑は入賞を目標にしていたが、無欲で臨んでいた。大会前の自己記録は2時間09分01秒で出場81選手中75番目。昨年10月のMGC(マラソン・グランドチャンピオンシップ。パリ五輪代表3枠のうち2人が決定)は小山直城(28、Honda)に敗れて2位だったし、代表には前回6位入賞の大迫傑(33、Nike)もいた。
「誰も僕には期待していなかったと思います」(赤﨑)
だがレースが始まると赤﨑の走りに躍動感が感じられた。14.2kmから20.3kmの間に標高差156mを上る難コースだが集団の前の方で走り、25kmではトップに立つ場面もあった。そこからタミラト・トーラ(33、エチオピア)が赤﨑のさらに前に出て独走したが、2位集団の赤﨑も良いリズムを維持していた。
28.5kmから800m程度続く上りは、傾斜度が6度を超える急勾配だったが、そこでも赤﨑の走りは崩れなかった。「上りは自分のリズムで行きたかったんです。集団のペースが落ちたので、15km以降はリズムを崩すよりいいと思って先頭で走りました。29kmの上り坂は正直、ハムストリング(大腿裏)が攣(つ)りかけましたが、下りもあったので上手く耐えて最後までもたせることができました」
35km過ぎにメダル争いからは後退したが、そこでも赤﨑のリズムは崩れなかった。「2位集団が見えていたので目指したかったのですが、あそこで無理に追いかけていたら最後で失速する可能性がありました。まずは自分のリズムをキープすること、その上でワンチャンあればメダルを狙おうと思って走っていました」残念ながらメダルには届かなかったが大健闘の6位入賞だった。
赤﨑はもともと上り下りに強い選手ではなかったが、MGC終盤に上りがあるため坂対策はしていた。そして昨年11月にパリ五輪コースを下見してからは、負荷の大きいポイント練習だけでなく、ジョグのコースでも上り坂を選び、「嫌というほど上りの練習」を行ってきた。「この駅伝でこの区間の経験があった、というわけではありませんが、日本選手は駅伝で上り下りを当たり前のように走っています。起伏が激しいコースの青梅マラソン(30km、2月)に優勝したことで、最終的に苦手意識を払拭できましたが、(コースが平坦な高速マラソンを主戦場とする)外国勢との違いはそこにあったのかもしれません」
初めての海外でのマラソンだったが、赤﨑は平常心で臨むことができたという。やるべきこと、できることをやってきた選手は、大舞台でも不安を持たずにスタートラインに立つことができる。そしてレース中も、練習してきたことを発揮できていると感じられた。
「いや、もう、人生で一番楽しいレースでした」
オリンピックというアスリートにとって最高の舞台で感じられたマラソンの楽しさ。それを駅伝でも感じることが、赤﨑の今の課題である。
日本人初のトラック個人種目連続入賞を三浦が実現できた理由は?
三浦龍司がパリ五輪で狙っていたのはメダルや上位入賞だった。8位という順位には不満が残ったが、「走っていてサンショー(3000m障害)の魅力が詰まっているレースだと思いましたし、すごく楽しいレースでした」と、赤﨑と同じ“楽しい”という言葉がレース後に聞かれた。
三浦は以前から「サンショーは自分の天職」と言っていた。長距離選手で“天職”という言葉を使う選手は過去、見たことがない。そのくらいこの種目に対する自身の適性と、やり甲斐を感じてきた。
3000m障害は長距離の走力があることが大前提だが、「ハードリング技術」が問われる。国際レースでは特に、長身の外国勢に視界を塞がれる。いきなり障害が目の前に現れるため「距離認識と歩幅調整のセンス」が重要になる。障害を越えた後にバランスを崩さずスムーズに加速する動きも、三浦が他選手に差を付ける部分である。
五輪&世界陸上では駆け引きも激しく、レース中の接触や転倒も起こりやすい。実際、パリ五輪でも優勝候補選手の転倒があった。三浦は「サンショーには瞬時の判断力が必要」だという。決勝進出を逃した唯一の世界大会である22年のオレゴン世界陸上は、一瞬の躊躇でレースの流れに乗り損なった。そういった経験や3000m障害への適性を、フルに活かしたのがパリ五輪だった。
五輪連続入賞を可能としたのは三浦の3000m障害への適性に加えて、東京五輪以降も積極的に海外遠征を行い、世界の流れに身を置くことができたからだという。「22年のオレゴン世界陸上(予選落ち)と23年のブダペスト世界陸上(6位入賞)。さらにはダイヤモンドリーグ(3年間で8大会)など、海外遠征の数が増えたこともそうですし、世界トップレベルの選手たちと接点、繋がりができ、認知してもらえたこともあるかなと思います。それがあったからパリ五輪の予選では、招集待機所でペースの話し合いに加われました。国際大会の場でのパワーバランス的な部分で、自分の位置づけができてきています。ある意味マークされるのですが、パリ五輪で言えばペースを運びやすいようなマークのされ方でした。そういった選手にこの2、3年間で成長できたことが、2大会連続入賞の要因だったかなと思います」
東京五輪とパリ五輪の2大会連続入賞は、金メダルのS・エル・バカリ(28、モロッコ)と三浦の2人しかいない。世界的にも評価できる連続入賞だった。
三浦は区間賞宣言。赤﨑が苦手意識のある駅伝で快走するには?
しかし意外なことに、赤﨑と三浦の駅伝での快走がそれほどない。三浦は駅伝は苦手と見られてしまっているが、箱根駅伝に限った話である。どの区間も20km以上の箱根駅伝は、トラックシーズンは3000m障害に専念している三浦には難しかった。距離が箱根駅伝より短い全日本大学駅伝では、1年時に1区(9.5km)で、2年時には2区(11.1km)で連続区間賞を獲得している。
奥谷亘監督は三浦の1区(12.3km)か3区(15.3km)への起用を明言している。「最初のニューイヤー駅伝なので、色んな要素を考えて走らないといけない区間よりも、シンプルに走りやすい区間を任せます。彼は責任持って準備を進めてきてくれています」
三浦自身はニューイヤー駅伝への意気込みを、次のように話した。「1区であれば一斉スタートなので周りのリズムや走りに合わせて、ポジション(位置取り)を決めていきやすい。(3000m障害の国際大会で位置取りを研いてきた)自分には向いている区間です。3区は15kmと長くなりますが、頑張って粘れる距離です。単独走で淡々と走るわけではなく、周りの選手たちの力を借りながら走るので、自分にはやはり走りやすい区間です。そのなかで最後、勝負どころはしっかり競り勝っていきたい。区間賞を取るつもりです」
一方の赤﨑はニューイヤー駅伝にも4回出場しているが、以下のような成績だ。
20年:出場なし(25位=チーム順位)
21年:7区区間6位(14位)
22年:7区区間24位(27位)
23年:4区区間29位(20位)
24年:2区区間22位(20位)
チームが上位の流れに乗れなかったケースが多いが、それにしても、である。赤﨑本人も「なんでここまで走れないんだろう、と思います。めちゃくちゃ調子が悪かったわけではないのですが…」と本音を語る。マラソンに比べ駅伝のスピードは格段に速いが、赤﨑も駅伝に必要なスピードを持っている。昨年のMGC前には5000mで13分20秒台を2回マーク(1本は13分27秒79の自己新)、今年のパリ五輪前には10000mで27分43秒84の自己新で走った。過去のニューイヤー駅伝最長区間で区間賞を取った選手たちと比べても、まったく引けを取らないタイムである。
学生時代には全日本大学駅伝3区(11.9km)を区間新記録(区間3位)で走ったこともある。駅伝を苦手とする要因を、次のように自己分析している。「個人種目は結果に対して、自分が責任を負うだけです。それがチームで走ると、気負いが出てしまうのだと思います」
メンタル面の課題をどう解決するか。具体的な方法は言及しなかったが、現状を認めることでやるべきことが見えてくる。ヒントはマラソンの成功パターンにあるかもしれない。「上りの走りにはメンタル面が大きく影響していると思います。ペース自体は動かせる(対応できる)スピードです。脳を騙すじゃないですけど、行けると思うことで走ることができます。それ以上に練習が大事で、パリ五輪ではその練習ができていた自信がありました」
駅伝への苦手意識の克服も、練習の中で自信を持つことが一番の方法だ。タスキを上位で受けたり近くにライバル選手がいたりすることも、きっかけになるかもしれない。ニューイヤー駅伝に向けてのプロセスで、何かをつかむ可能性はある。赤﨑が駅伝でも“楽しい”と感じられる走りができれば、群馬でもパリ五輪のような“予想以上”の結果が期待できる。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)
*写真は左から、赤﨑暁選手、三浦龍司選手
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