連日の猛暑で、ニュースの中でも「観測史上最高」という表現に接することが珍しくなくなっている。この傾向は世界的で、特にインドでは気温が50度を超える世界に突入した。危険なレベルの暑さが社会に与える影響は、日本企業が今後直面するビジネス課題も示唆する。法人向けのニュースレター「日経リスクインサイト」に寄稿された、米国の調査会社ユーラシア・グループのプラミット・パル・チャドフリ氏の分析を転載する。(事実関係などは日経リスクインサイトでの配信日の7月16日時点の情報に基づく)
4月に創刊した「日経リスクインサイト」は、ビジネスのリスクマネジメントに役立つ情報について各業界の専門家らが執筆した記事を配信する法人向けのニュースレターメディアです。企業不正や不祥事の具体事例の分析も含め、週2回をめどにメール記事を配信しています。日経電子版では配信記事の一部を公開しています。購読の申し込みはこちらのページから(https://rc.nikkei.com/risk-insight/about/) インド気象局は5月末、首都ニューデリーの最高気温が観測史上で最も高い49.9度に達したと発表した。インドは5月に入ると北西部を中心に熱波に見舞われ、最高気温が50度を超える地域も一部に出た。気温が50度を超えた世界では何が起きるのだろうか。大きく3つの現象が挙げられる。貧困層と農業に打撃
1つは、貧困層のストレス増加だ。暑すぎると熱中症にかかりやすくなり、今年は実際に100人以上の労働者らの死亡が報じられた。最も苦しんでいるのは野菜やチャイなどを路上で販売している人々である。労働環境が厳しいことに加え、人々が外出しなくなることで収入も減ってしまう。屋外の建設現場の作業も非常に厳しい。
2つめは、干ばつによる農業への甚大な打撃だ。今年は熱波が来る前に小麦の収穫が大体終わっていたから、まだ耐えられたのかもしれない。しかし昨年は小麦が収穫期を迎えた際に熱波が農地を襲った。小麦の収穫量は1000万トン規模で減少した。
インドは世界有数の小麦生産国である。インドの収穫量減少が、世界的な価格高騰の引き金になったわけだ。しかも、気候変動に伴い、熱波の発生によって影響を受ける期間が年々長くなっている。インドで起きていることは、熱波による影響がこれまで10日間ほどだったのが、今ではおよそ1カ月にも拡大しているという惨劇だ。
インド政府は干ばつや熱波に強い農作物への切り替えを農家に勧め始めているが、そうした品種の開発には相当な時間を要する。ヒマラヤ山脈の氷河も融解しており、作付けパターンの変化や森林への悪影響が懸念される。インドの暑さは世界の食糧安全保障の問題にも大きな影を落としている。
製造業は冷却装置が課題
3つめは、製造業の現場への影響だ。猛暑のなかで生産を継続するためには、特に大企業は工場に一定規模の冷房など冷却装置が欠かせない。ただ冷房の稼働は熱をさらに生み出し、それが気温を一段と高めてしまう。インドでは、エネルギー関連の冷却技術をいかに確立するかが関心事となっている。
気候変動はインフラにも問題が波及する。例えばインドでは現在、日本式の新幹線の導入を計画している。日本の夏も暑いとはいえ、気温50度までは上昇しない。日本企業が普及を進めようとしているインドの新幹線は、気温50度に対応できるように設計されているのだろうか。
家庭用電力の供給網も同様だ。酷暑に耐えうる十分なエネルギー源がないため、インドは現在も火力発電所で石炭を燃やし続けている。当然、これは世界最悪レベルの大気汚染につながっている。熱波で風速が低下すると、風力発電のエネルギー供給量も低下するといわれる。
こうした気候変動の厳しい状況を踏まえ、モディ政権は環境負荷が低いグリーン経済への移行を長く提唱してきた。
当初の計画では、太陽光発電や蓄電池などを組み合わせて再生可能エネルギーの導入を推進するはずだった。しかし開発に欠かせない重要鉱物のレアアースや電池の価格が高いため普及が進んでいない。最近は原子力発電が注目されているが、本格的な導入には最低でも10年から15年はかかるだろう。
気候変動対策の資金に乏しく
インドの人口は14億人を超えて世界最大になったが、まだ貧しい国だ。結局は、気候変動対策を進めるための莫大な資金をどう確保するかが焦点になる。インドは2070年までに温暖化ガスの排出量を実質ゼロにする目標を掲げるが、それには4兆ドル〜5兆ドルの資金が必要だという試算もある。資金も技術もなしに、気候変動対策を進めることは不可能だ。
こうしたグリーンファイナンスはインドだけの問題ではない。アフリカなどの新興・途上国を含めた「グローバルサウス」全体の課題である。
今日、エネルギーを生み出すための資金は大半が富裕国から富裕国へと流れている。日本の資金がヨーロッパに流れ、ヨーロッパから米国、米国から日本といった循環の構図だ。これは先進国にとって良いことだろう。ただ、残念ながらグローバルサウスの国々には資金がほとんど入ってこない。
この問題は昨年にニューデリーで開かれたG20サミットでも議論になった。本当に必要なのは民間資本だが、大企業はリスクを嫌う。グローバルサウス向けのリスクが高いエネルギープロジェクトに投資することは、大企業の論理では基本的に許されない。だから、現状では気候変動において資金を巡るリスク回避の仕組みが存在しない。これは世界全体が考えなければならない論点だ。
外資系企業は環境規制に留意
現実的には、日本を含めた外資系企業が経済安全保障上の理由などで、中国からインドに続々と拠点を移し始めている。外資系企業はインドに進出する際、厳しい気候や環境規制についても留意しなければならない。
外資系企業にとって、足元でインドは輸出拠点としても使われつつある。企業は工場での電力確保に注意を払うほか、持続可能なクリーンエネルギーをどう取り入れるかも真剣に考えることが大切だ。
例えば、欧州連合(EU)は環境規制の緩い国からの輸入品に事実上の関税を課す「国境炭素調整措置」をすでに導入している。この動きは他の先進国も追随することが予想されており、今後はインドでも持続可能なエネルギー源が求められる。
日本の鉄鋼メーカーがインドに進出し、EUなどに輸出するならば、水素といったクリーンエネルギーの活用が欠かせなくなるだろう。インドで生産する製品やサービスは、輸出先の国にとって友好的なものとみなされなければいけない。インドが強みとする新しいデジタル技術にも大量の電力が必要だ。
現在は世界各国で基準がまちまちな環境規制に配慮しないと、後になって大きな問題に直面しかねない。輸出志向の高い企業であれば、なおさら早い段階で多くの選択肢から最適な解決策を検討しておくことが重要になる。
(編集・馬場燃 moyuru.baba@nex.nikkei.com)
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