パレスチナ・ガザ地区出身のアルディーブ選手は23年前、イスラエル軍の銃撃を受け、車いすの生活となりました。

イスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘が激化するなか、去年12月には、家族が住む家が跡形もないほどに破壊され、弟のアラーさんやいとこなど、親族17人を失いました。

ちょうどその時、試合中だったというアルディーブ選手の携帯電話には弟のアラーさんが何度も着信があった形跡が残っています。

最後に会話をすることはできませんでした。

この出来事をきっかけにみずからが競技を続ける意味を問い直すようになったアルディーブ選手。そして、ガザ地区の現状を知ってもらうためにも、諦めない姿を見せようという答えにたどりつきました。

「パレスチナ代表としてパラリンピックに参加するのが自分だけなのはつらい。でも私がパラリンピックでパレスチナの旗を掲げれば、ガザには多くの人々が生きていることを伝えられるのではないかと思った」

パリの大舞台の開会式でアルディーブ選手はたった1人、パレスチナ代表の旗手を務め「ガザ地区にも夢や希望が存在している」というメッセージを胸に国旗を高々と掲げ、堂々と行進しました。

その姿に、会場から大きな拍手が送られました。

30日の競技開始直前、自分の名前が会場にアナウンスされると、祖国への平和への願いを込め、胸元のパレスチナの国旗にそっと触れたという、アルディーブ選手。

「諦めない姿を見せたい」

大声援を受けながら、投げるたびに記録を伸ばし続け、3回目には、シーズンベストを更新しました。

結果は11位でしたが「パラリンピックに出ることで諦めないことの大切さを伝えられたと思う。パレスチナでたくさんの人が亡くなっているのを世界の人は忘れてはいけないし平和を実現したいというメッセージを送れた」と話したアルディーブ選手。

世界の分断が深まるなか、アルディーブ選手がパラリンピックに出場した意味の大きさを感じました。

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