アルベルト・フジモリ元大統領は両親が熊本県出身の日系2世で、1938年、ペルーの首都リマで生まれ、1990年に日系人として初めてペルーの大統領に就任しました。

在任中、インフレを緊縮財政で克服して経済を立て直すとともに、反政府武装グループを徹底的に取り締まり、治安を劇的に改善させるなど手腕を発揮し、1996年に発生した日本大使公邸人質事件では救出作戦を指揮し、大半の人質を救出しました。

その一方で、強権的な政治姿勢が国内外からの批判を浴び、2000年日本に事実上、亡命し、大統領の職を失いました。

2005年に日本を出国し、チリに入国したところで身柄を拘束され、その2年後にペルーに引き渡され、在任中に治安部隊を指揮して市民を殺害した殺人などの罪で禁錮25年の判決が確定しました。

フジモリ元大統領は去年、ペルーの憲法裁判所の命令によって刑務所から釈放されていました。

娘のケイコ氏はSNSで11日に「がんとの長い闘病の末、父、アルベルト・フジモリは神のもとに旅立った」としてフジモリ元大統領が亡くなったことを明らかにしました。

86歳でした。

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