【なぜ北朝鮮は日本人を拉致したのか】
【北朝鮮当局にとって拉致被害者の存在とは】
【帰国者と未帰国者を分けたものは】
【「死亡確認書」にも数々の矛盾が】
【カギは北朝鮮の説明をどう覆すか】
Q 2002年の日朝首脳会談で北朝鮮は拉致を初めて認めたが、8人は「死亡した」と説明しました。帰国者と未帰国者を分けたものも被害者の機密性と関係があるのでしょうか。
蓮池さん北朝鮮は日朝首脳会談で最終的には拉致を認めましたが、ダメージを最小限に抑えたい思惑があったと考えられます。拉致被害者として表に出す以上、出したくない人と、出しても大きな問題がない人を明確に分けたとみられます。その線引きの1つは、北朝鮮が今も事件への関与を認めていない、国際的なテロ事件に関わりがあったかどうかです。
例えば、大韓航空機爆破事件です(1987年に大韓航空の旅客機が日本人になりすました2人の北朝鮮の工作員によって爆破され、乗員乗客115人が犠牲になった)。拉致被害者の1人、田口八重子さんは、事件を起こしたキム・ヒョンヒ(金賢姫)元工作員に北朝鮮で日本語を教えさせられていました。北朝鮮は今もこの事件への関与を否定しているので、田口さんを生存者として出して日本語教育のことを証言されたり、事実が明らかになることを避けたい思惑があると考えられます。
「よど号グループ」が拉致に関与した有本恵子さん、石岡亨さん、松木薫さんも同様です。北朝鮮は、よど号グループの拉致への関与を一切否定していますが、北朝鮮がかくまっているテログループが日本人の拉致まで行っていたとなると、アメリカなどからの批判が強まる。被害者が帰国して秘密を明らかにされることを避けたかったと考えられます。もう1つは、北朝鮮が思う通りにその人を動かせるかどうかです。生存者として日本政府の前に出す時に「拉致はされましたが北朝鮮で幸せに暮らしています。今さら日本に帰るのは怖いです」などと本人の口から言わせたかったのです。それが言える人かどうか。条件としては、北朝鮮で日本に帰りたいというそぶりを見せなかったこと。そして、家族や子どもを人質として残し、日本に戻しても思うように行動させられる人かどうか。そうした条件を鑑みて表に出せたのが帰国した私たち5人だったと思います。例えば、拉致被害者の1人、横田めぐみさんの場合は13歳の時に幼くして拉致され、日本に帰りたいという思いがわれわれと比べてもはるかに強かったと思われます。北朝鮮が「自分たちの思う通りの発言はしてくれないかもしれない」という危惧を持ったのではないか。生存していても出せないから、「死亡」ということで日本側に説明したのだと私は思っています。
Q 北朝鮮の「不都合な真実」が暴露されないかどうかで帰国者と未帰国者を分けたということですが、2002年の日朝首脳会談の時に北朝鮮が出してきた8人の「死亡確認書」にも矛盾や誤りがありました。
蓮池さん例えば、横田めぐみさんに関しては「1993年3月に死亡した」となっています。しかし、私たちは1994年3月までめぐみさんと同じ地区で暮らしていました。事実と1年も食い違うというのは、言い間違いとか勘違いでは済まされません。実際、私が日本に帰国する際、北朝鮮側から「『めぐみさんは1993年の春に亡くなったという噂を聞いた』と言え」と指示されました。それを聞いた私は「93年は間違いじゃないですか。94年に一緒にいたんですよ」と伝えたんですが、向こうは「いいんだ、これくらいにしとけ」と言った。これは、「死亡確認書」が完全に作られたものだということを裏付けていると思います。
田口八重子さんと原敕晁さんについての北朝鮮の説明(「1984年に2人は結婚し、その後、原さんが病死したため、田口さんは精神的な慰労の旅に出かけて交通事故で死亡した」)も同様です。結婚したという時期に、田口さんは、横田めぐみさんと北朝鮮の若い女性工作員とともに、われわれの隣の隣で暮らしていた。確実に結婚してはいなかった。増元るみ子さんと市川修一さんについての北朝鮮の説明(「1979年に2人は結婚し市川さんは9月に海水浴中に死亡、増元さんは2年後に心臓まひで急死した」)についても同様です。結婚したという時期に、増元さんは私の妻と一緒に暮らしていて、結婚していなかった。いずれの「死亡」説明も、「結婚」というのが核になっていますが、その事実自体が間違っているのです。ずさんで、受け入れられるものでありません。
Q 北朝鮮の安否説明に信ぴょう性がないなかで、問題の早期解決に向けて今、必要なことは何でしょうか。
蓮池さん北朝鮮は22年前、われわれをあくまで「一時帰国」という形で日本に行かせました。彼らとしては「日本で北朝鮮の体制宣伝とかしなくていい」と。「それよりお前たちの任務は戻ることだ、北朝鮮に戻ることだ」と。「1週間や10日ということだから」という話でした。しかし、結果的にわれわれは日本に残りました。もういたたまれなくて家族や政府には本当のことを伝えたわけです。北朝鮮はこれは想定外だった。あれだけ必死になってわれわれを引き戻そうとした理由は、われわれが貴重な存在だからじゃない。その秘密、この拉致問題を処理する作戦が、われわれによってつぶされてしまう。それを絶対避けたかったからだと考えています。
私は拉致被害者の皆さんは生きていると信じています。「亡くなっているかもしれないのに『必ず生きて帰せ』と言うのは無理な話じゃないか」と考える人もいますが、そうじゃないんです。自分の愛する子どもが「亡くなった」と言われ、さらに「でたらめな説明で納得しろ」と言われているわけです。これは納得できないことなんです。今のままではわれわれは受け入れられませんよという話なんです。根拠を出せないというのは、生きている可能性があるということなんです。われわれはそれを期待を持って言っているんです。北朝鮮に「ごまかしはもうききませんよ」と、「もう無駄な抵抗はやめて政治的決断を下してください」というメッセージを発信していくことが大事だと思っています。
(聞き手 社会部 田畑佑典 記者)
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