初公開された蛇行剣に見入る歴史ファンら=4月6日、奈良県橿原市の県立橿原考古学研究所付属博物館

奈良市の富雄丸山古墳(4世紀後半)で発掘された東アジア最大の蛇行剣(長さ237センチ)が奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市)で初公開された。7日までの8日間で、同館の年間入館者数約5万人の3分の1近くにあたる約1万6千人(速報値)が来館、その人気ぶりを見せつけた。中国の歴史書に記されていない「空白の4世紀」の謎に迫る一級資料といわれる蛇行剣。蛇のように曲がりくねった姿は邪を退けるとされ、古代の魔力は現代人をも引きつけた。

1時間以上前から列

蛇行剣は、刀身が6カ所も屈曲した特異な形状で、柄(つか)や鞘(さや)を合わせると長さ285センチ。同研究所が表面の土やさびを除去するクリーニングを1年がかりで行い、黒漆(くろうるし)塗りの柄や鞘がほぼ完全な状態で残っていた。

公開初日となった3月30日、午前9時開館の1時間以上前から50メートルほどの列ができ、一番乗りをしたのは東京都内の男性(64)で7時半から並んだという。「一目見たいと前日から奈良に来た。大勢の人でごった返すと思ったので早く来て正解でした」

翌31日と合わせて約3500人が訪れ、通常の土日の入館者の数百人を大きく上回った。4月1日は休館日だったが、それ以外の平日も混雑は変わらず、「2時間待ちとなります」とのアナウンスに諦めて帰る人も。館内誘導には橿原考古学研究所の研究員も対応し、当初は1万部用意していたカラー刷りパンフレットも急遽(きゅうきょ)1万部を追加発注した。

川上洋一館長が30年前に担当した特別展では福岡・志賀島の金印(国宝)が公開され1カ月で2万人以上が訪れた。「金印のときでさえ多くて一日に千人ほど。今回は勢いが違った」

蛇行剣は撮影が可能で、スマートフォンで撮影する人も多く、来館者が交流サイト(SNS)で発信したことも影響したとみられる。

誰も見たことのない剣

とはいえ、やはり蛇行剣そのものが持つロマンが、多くの人を魅了したと言っていいだろう。

長大な蛇行剣は権力の象徴といわれ、同古墳の被葬者は4世紀のヤマト王権にとって重要な地位を占めたとされる。魏志倭人伝に記された邪馬台国(やまたいこく)の「3世紀」、倭の五王が活躍した「5世紀」の間の空白を埋める資料として研究者も注目。「誰も見たことのない剣を作ることで、独自の力を誇示し新時代を開こうとした」とも言われた。

蛇行剣のクリーニング作業で新発見も相次ぎ、柄頭が刀特有のくさび形をしていた一方で、剣にみられる突起もあり、刀と剣の特徴を併せ持つ「ハイブリッド構造」と判明。奈良大の豊島直博教授は「儀式用の長大な剣を作るにあたって新たなデザインを採用したのでは」と指摘する。

長期公開は困難

初公開で柄頭などに着目するファンも多く、富雄丸山古墳の発掘体験にも参加したという堺市中区の辻尾祥子さん(69)は「土の下にこれだけのものが残っていたとは。どんな意味が込められていたのかすごくロマンを感じた」と話した。

同館では会期が1~2カ月の特別展で入館者が数万人になることもあったが今回は異例の短期間での1万人超え。公開の延長を求める声も寄せられたが、蛇行剣は保存処理が行われておらず、劣化を防ぐためにも長期の公開は困難だった。

今後、本格的な保存処理が数年かけて行われる予定で、次回の公開はしばらく先になりそうだ。(小畑三秋)

富雄丸山古墳 直径109メートルで国内最大の円墳。ヤマト王権の中心地・奈良盆地北部と5世紀に台頭する大阪・河内の中間に位置し、被葬者は奈良と河内勢力を仲介した有力者ともいわれる。蛇行剣は墳丘の「造り出し」の木棺の上から盾形銅鏡(長さ64センチ、最大幅31センチ)とともに出土。木棺内からは青銅鏡3枚と漆塗りの竪櫛(たてぐし)も見つかった。

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